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  • 執筆者の写真Toshiya Kakuchi

最高の最低 Ⅲ




過去2通のブログではBATONER様とお取引を始めるまでのお話や、経済とファッションの現在などについて私なりに感じることを書いてきた。



最終章となる今回は、大げさなテーマではあるがBATONERというブランドが象徴する、ファッションと消費者の今後についてまた私見を書きたいと思うが、その前に過去2通のブログで言いたかった要点を再度ご覧頂きたい。



現在のファッション業界はユニクロ柳井会長がどこかで仰っていた通り、”本当に強い者だけが残る”構造になりつつある。2位も3位も全て1位に食われて生き残れない危険性を持っているということだ。



このブログでは理解を進めるためにわかりやすく身近なユニクロという会社を一つの比較対象とさせて頂き、圧倒的なグローバリズムに代表されるコストメリットと、対する中小企業の現状について語ってきたが、実際のところ国内では良いものを安くたくさん買おうとする消費者が増えているという実態がある中で、いまなお倒れず立ち続けている職人気質な中小企業の努力は生半可ではないことを改めて伝えたい。





ここから本題に入るが、ファッションが圧倒的なコストパフォーマンスを実現する時、我々は何故トヨタの車やソニーの半導体技術の進化を見たときのようにドキドキしないのだろうか?



確かに品質は高い、同じ1,000円ならユニクロを買う、そういう感覚はあるがプリウスをはじめて見たときや8Kの映像技術を見たときのような感覚には程遠く、基本的に誰かが作った良いものやスタイルをスポイルさせながら価格で納得させているというのがその一因であろうと考える。



そうしたときに、ファッションのコスパ議論の行く先がいかに寂しいか言うまでもないが、このパンデミックによって甚大なる痛みを抱えた経済と我々が再び動き出すにあたって、これまでのように盲目的にコスパやトレンドを追ってしまえば、ファッションにこだわりのある全ての人たちにとって、近い将来日常の潤いを失う恐れが十分にあり得るということをお伝えしたいというのが本編の結論にも近い内容である。



そこで一旦、業界の現状について語ってみる。



洋服は工業製品であるためスケールが大きければ安く、小さければ割高になるような物理的な一面と、「ブランド性」という別ベクトルとの相関性でその価値や価格が定められている。



あるグローバル企業はシンプルな日常着を圧倒的なスケールと価格で消費者に提案するような姿勢をとれば、対極にはファッションの持つファンタジーの頂点を目指し、高い付加価値をもって消費者を覚醒させる存在もある。



両者は全く違ったモノづくりの思想と方法論を持っているが、消費者に夢を見させる必要があるという点では共通しているため、言葉は強いがコストをかけてでもビジュアルを駆使し、イメージが実体以上となるように常にセットで進めていく。



他方でファッションにこだわりのある人間は星の数ほどいるが、厄介なことにプロダクト自体で見極められる人は全体の1%にも満たないという事実があるからこそ、そのイメージ戦略やブランドビジネスが成立するわけである。





ブログをお読み頂く方の大半がお客様であることを認識した上でこれを書くのは正気の沙汰ではないが、書かねば先に進めないため書き進める。



この10年でファッション消費の常識は大きく変わった。



一つはSNSの台頭などによってモノを実物よりビジュアルで評価すること、自分よりも他人の目で評価する風潮が急増したことだ。



実際に店頭でも少数の目利きを抜きにしてブランドのタグを見なければ、これが良いモノなのかなど判定できるお客様が急減し、生産者がいくら頑張って良いモノを作ろうとも予め誰かに何かを伝えてもらわねば価値そのものが見出せないというケースが稀ではなくなった。



極論、目の前にあるモノの価値を画面越しの誰かが決めるというのが常識となったわけである。



この常識が今、ファッション業界にとって大いに考慮すべき材料であることは言うまでもなく、前述したようにモノ作りのこだわりと等しくイメージの重要性はより大きなものとなった。



あの人のようになりたい、みんなが良いと言うあの服を着ていれば安心だ、というのはごく自然なファッションの入り口であるが、しかしこれまでと違い厄介なのはハリボテのようなブランドの急増やせっかく買ったものを見放す時までもが皆同じタイミングであることだ。



もともと自分の価値観でモノを買っていない「トレンド」を間違った形で追う人々は、実態のない”世の中の気分”なるものが別の方向に向かった瞬間に手元にあるモノ達が無用の長物となってしまうわけだが、多くの人にとってそのようなコロコロ変わっていくトレンドについていけるほどの金銭的余裕はなく、市場では安くて良いとされるものがより必要になってくる。



実際のところ、現在の安くて良いものをたくさん買う傾向は、単に安くて良いものが増えただけではなくそのような背景が生み出したトレンド持久力や、本来ならより長く付き合うべきファッションが弱体化してしまった一面でもあろうかと見ている。



そして、丹念に時間をかけて作ってきたそれらを売る立場の人達も、お客様の声の聞きどころを誤って次、次と呼応していることこそが、商品の短命化やセールの恒常化という真のブランドまでをも巻き込んだ負の一連を生んでいる。





BATONERというブランドは率直に商品に対して価格が安く、コストパフォーマンスという言葉を使うなら消費者にとって非常に有利なモノが多い。



そして、シンプルで服そのものに特徴があってもあり過ぎないこと、言い換えれば使い手の裁量が十分に確保されているところがBechicsがBATONERに目を付けた1番の理由だ。



また、それは近年多く見られるミニマルで上質な服と言われるその他のブランドとの違いや、BATONERに持久力を感じる点でもあると思っているが、それにはいくつか実際的な理由があると考える。



一つは、彼らが生粋の職人肌であることだ。



自らの出自がニットメーカーであることを強く意識したブランディングである故、ニッティングを極め未来に向けて進化させるという事に確固たる軸足がある。



工場ブランドとしての自覚なのか、彼らは自らを必要以上に大きく見せない。



素朴な服を誇張して見せるような極端にサイズの大きな服は作らないし、シャツやジャケットなど畑の違うものを作って雰囲気にお金をかけて売るようなことはしない姿は、ブランドと言うよりメーカーとしての色がいまだに濃いように感じる。



世の中にどれくらい自分たちの商品が出ていくべきなのか考え、そして自分たちが作った商品が現場でどのように売られているかもしっかり自分たちの目と耳で確認し、大したことがないモノほど大袈裟に語られることさえわかっている。



説明のしようがない苦労をも編み込まれた生地は、彼らと同じく多くのことを語りはせず、しかしそこにはメーカー肌の彼らが考える適正価格が示され、キリの悪い「5,400円」という数字が最高のモノ作りを志す彼らが出した謙虚すぎるほどの最低価格であることはここでどうしても伝えておきたい。



ファッションの価値はそれぞれであり、物理的コストだけはないことは前述した通りだが、BATONERのようなブランドが出した5,400円(他の商品も同様)という価格が単に工場を持っているブランドの強みというだけではなく、様々な思いが込められている事を理解しリスペクトしなければ、アフターコロナの世界においてBATONERに限らず中小が持つ素晴らしい技術やその恩恵を受ける我々の潤いある日常が脅かされてしまう危機感を禁じ得ないというのが長々と書き並べてきたブログの結論だ。



本来、BATONERのようなブランドが作る商品は半年や一年で様変わりするはずもなく、もっと長く丁寧に売られるべきものであることを改めて思えば、目前に迫った不況によってBechicsも含めた全ての小売店が一度篩にかけられ少数精鋭だけが残る必要もあろうかと思う。



そして、ブランドもまた同じく消費者にとって残るべきものだけになるはずではあるが、そのような健全なファッションの体系を皆でつくるためには、まずは全ての人たちが自らの目とセンスを鍛え、時間や他者の目から解放されることから始めなければならない。




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