top of page
  • 執筆者の写真Toshiya Kakuchi

”今こそファッション”などおこがましい

今回は2通に分けてブログを書く。



大変申し訳ないが、1通目の内容はかなりカラく、さらに大半の読み手の皆様には縁遠い話が多い。

それでも最後に言いたいことを言うために激痛の伴う1通目を書くことにしたので、巣篭もり生活によっていよいよ本格的に一点病が持病になってきた、売るほど時間がある方だけ読み進めてほしい。



少し前にWWDの記事で、ジョルジオ・アルマーニ氏が同じことを考えていたことを知りやっと腹落ちした。



書き出しからずいぶん壮大なスケールの話題をするが、オートクチュールからプレタポルテへと主流が変わり、そしてパリコレをはじめとしたファッションショウ形式の流れが80年代から一気に一般化して早40年程度となる。



長年この仕事をしているのでずいぶん前から気付いているが、全世界的にスタート当初とは全く違った環境下となりながら半年に一度の祭典とともに店頭の商品が全て入れ替わるようなシステムを続けていることは、今アパレル業界が自ら作り出したルールで自らの首を絞める最大の理由にもなっている。



こと仕入れビジネスをしているセレクトショップなんかは、そもそも他人が作ったものを当然原価より高く仕入れて同時期にヨーイドンで売ることを容認したハイリスク型のビジネスモデルであるわけだから、外してしまった商品は原価割れさせながら叩き売り、また次の商品を仕入れて同じくヨーイドンの合図で半年間の全力疾走をしなければならない。



何が言いたいかといえば、そんな大蛇のように巻きついたルールを私なんかが変えられるわけがないし、お客様にすれば次々変わることを楽しまれている側面もあるわけだから、私は今後もその中でやれることをハイブリッドにやっていくのだが、惜しみない努力やアイデアが込められた商品たちが「半年に一度変わって当然」という既成概念によって、お役目後にはまるで外れた馬券のように葬られていく姿を今後も見続けるのか?と何年も自問自答した結果、こうして言いたいこともまとまらないまま話し始めている、そういうことだ。



さらには、最近作られたモノなんてごく一部を除けば1年前と殆ど変わっていないしリリース時期さえ知らされなければ誰が商品だけを見ていつのものなのかわかろうか、というような状況がその思いを加速させる。



しかし、このパンデミック以降の我が業界の姿を見ると本当に情けない。



ファッション従事者であることをこれほど恥じた1ヶ月もないが、皆一斉に”感謝を込めた”ディスカウントマシンガンをぶっ放し、あれだけ愛した「今シーズンの一押し、マストバイ!」を我先に現金化させ、晴れてまたファッションはいつでも新しいものが安く買える、そしてそれを買わずとも数日もすれば新しい商品が雨後のタケノコのように出てくるのは誰の目からも明らかで、売り手は「次はコレだ!在庫は残りわずか!」と高楊枝をくわえながら言い続けることが目に見えている。



なぜこんな簡単なことがわからないのかと心底疑問だが、お客様がいま洋服を積極的に買わないのは洋服が嫌いになったからでも不要になったわけでもない。



今は服よりも命に強い関心があるだけで、みんなしっかり洋服は好きだし”ファッションが持つ力”なんぞ売っている我々よりも定価で買っているお客様の方が百倍わかっている。



それを本質もないまま”今こそファッションの力で”とシャーシャーと安い言葉を並べて売らんとする姿は目も当てられないし、誰がそんな言葉で「おお、そうだ服を買おう」と思おうものか。



現に、Bechicsにお越し頂くような嗜好性の高いものを好まれるお客様は、多少減ってはいるが無理のない範囲で欲しいものを普通にお求めくださっている。



そうして我々は余白産業であることをわきまえた上でニーズに粛々と答えていく時期ではないかと強く思っているわけだが、多くのアパレル企業が前述のような思考をアフターコロナの世界でも続けるのであれば、当然世の中で囁かれるような淘汰と新たな娯楽へのバトンタッチが一気に押し寄せるだろう。



飲食、宿泊業に続くダメージの大きいアパレル業界の中でBechicsも例外ではない苦境に立たされる立場ではあるが、ファッションへの愛やリスペクトを持続できない、或いはお取引させて頂いているブランド様の価値をむやみに下げるような売り方をするくらいなら切腹を望む。



ナルシシズムと言われようともそんな武士道だけは捨てないと言うためにこんなややこしいブログを書いているようなものだが、そろそろおっさんのボヤキがウザさ頂点に達する頃なので本題に入りたい。



今日から、INDUSTRIAの新作パンツを販売し始めた。



今回で2度目になるINDUSTRIAのリリースだが、今回もわざわざこのシーズン終盤時期に照準を合わせて発売をするのは、大前提として「シーズンという概念がない」ことを告げた上で売りたい思いがあるためだ。



また、冒頭からグチグチと話してきたことをここで回収するなら、まるで思想犯のように我が道を行きたいのか、「大そうな信念を邪魔させないものが必要なら自分で作れ、オマエが。」そういう意図もありINDUSTRIAを始めた。



初披露したBDUジャケットもそうだが、今回のパンツも一見どこにでもありそうなルックスをしながらきちんと全てを監修することで生まれるベツモノ感を重要視している。



たった一つのアイテムをリリースするために半年以上もの時間をかけ、私が持てる全てを出し切ったプロダクトを作るのがこのINDUSTRIA(ラテン語で”勤勉な”や”真面目に積み上げる”というような意味がある)だ。



同じく、I.D INDUSTRIAというリメイクの商品もあるが、あちらが今の気分やノリをストレートに表現するような前衛的なファストファッションというイメージであるなら、INDUSTRIAは私が一生着続けるだろうと思う商品を作る、そんな区分けである。



長く着続ける、そして実際にお店に何年も並んだとしても違和感を感じさせないようなものを作ると考えると、否が応でもデザインとは真正面から向き合わなければならない。



よく言われることだが、デザインとは問題解決の手段であって意匠を施すこと自体が目的ではないと結論されているが、私がこの世にあるパンツを見渡してどこに問題があろうかと考えれば当然ミクロなところに着眼するしかない。



特にメンズの洋服においては、既に何十年も前に完成を迎えそれ以降は単なるアップデイトでしかないわけだから、変化が地味になることは避けられないし逆を返せばチューニングの妙こそ腕の見せ所であることを作り込むほどに思い知らされるような気さえしている。



そのこだわりについてようやく語る時がきたが、また長くなるので続編は後日とし、まずはササッと商品の雰囲気をご覧頂いて、ご興味あるお客様だけ次号を面倒臭くも楽しみにしてもらいたい。









閲覧数:1,912回
bottom of page