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  • 執筆者の写真Toshiya Kakuchi

BLACK - 焦点なき横顔の美

どうして最近あまり話さないんだ?



それは、店頭での接客中のことに加えて、ブログやオンラインストアのような言葉を使ってプロダクトの紹介をする場であっても以前より口数が減っている、そういう意味だった。



しばらく前にあるお客様から言われたわけだが、自覚をしてやっていたことだったのですぐに説明がついた。



以前の自分を振り返った時に、口数が多すぎたと反省をしていたからだ。



物事をロジカルに因数分解するベシックスが変えてしまったそれは、もしかするとあるお客様にとっては改悪とも言える変化だったかもしれないが、先々のことを思うと口数が多い売り方のデメリットも同時に感じていた。



理由はシンプルで、ウンチクによってその商品を良いものだと理解させることはある種簡単とも言えるが、それに快感を覚えてもらうと商品のムード以前にウンチクを探そうという誤解が生じるからだ。



この話をしだすと長くなるので今日は割愛するが、一つ断りを入れると瞬間的な見た目が良いものとウンチクを語るべきものというのは対極的存在でなく、必ずと言って良いほどそれぞれがバランスよく共存している。



さて、本題の黒にまつわる話だ。





ここ最近は店頭でも黒(それも全身)を着る機会がずいぶん増えたが、もともと私は全身どころか黒い服を着ることがほとんどなかった。



それがどうしたものか、この1年くらいの間は夏まで求められてもいない黒を提案し続けている有様で、それは明らかに自らの口数が減っていることにリンクしていると分析している。



黒はその他の色より品物だけで良さを説明するのが遥かに難しいと、JIL SANDERの青山店で働く知人が話していたことを思い出すが、品物単体では感じることができない体を入れた時に出るそのムードこそ黒だけが持つ特徴ではないかと思う。



いや、むしろ黒には人の内面に存在する思いや姿勢の輪郭を可視化させるような効果があるとも言え、故にあらゆる賢者が黒を好んで着ている。





今回ベシックスが編集した黒は、ヨウジ、カワクボのような世界でもジョブズのようなミニマルな黒でもなく、身近な人で例えるなら北野武監督や落合陽一さん(彼は好んでヨウジを着ていますが)のような黒の体現、つまりデザインされた黒ではなく、内面が充実した人間が没意義的に黒を纏うことで印象をブーストさせるような、言葉を直接介さない知的な黒に一歩踏み込んだつもりでいる。



彼らが着る黒が何であろうがそんなことを語るのはナンセンスだとわかっていながら、我々は意識しなければ普段から洋服によって自らを補完しようとしていないか?そんな思いだ。



言葉を使わずして内側を表す役割を持っている、姿勢の色。



それは、影さえフォルムの一部となる。



表面からは見えない、想像の領域こそが黒が持つ彩りなのだろう。



あの日、私が言葉にしなかったことが伝わっていたと信じたい。

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