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  • 店主 角地 俊耶

NEXT PHASE


いつでも暑苦しいその街にはあまりいい思い出がない。

言ってしまえば、「ほぼ」嫌いだ。

渋谷にはいつだって、オレたちがと言わんばかりの不相応な自信に満ちた子供と、社会性のないような怪しい大人がゴロゴロしている。

何年も前になるが、僕はそんな渋谷〜原宿キッズのプライドの塊のような年上の人間に、湿った空気が漂うビルの駐車場でコンビニで買った缶ビールを飲みながら合理性のないファッション根性論を聞かされていた。

飲みたくもない酒を飲む以上、少しでもまともな店に入って人目くらい気にせず話したかったものの、缶ビールで稼いだ小銭を洋服に充てようとするそんな姿と、酔った勢いでできもしない夢物語を夜更けまで聞かされたその時の事は、話の内容こそ忘れてしまったがある意味では通るべくして通った道であり、服屋のアレコレを理解する上で貴重な体験であったのかもしれない。

対して、そこから10分も歩けば表参道〜青山という、今度は全く手に届かないような世界で生きる人々が集まる異次元のラグジュアリー街が広がる。

私はと言えば、そのどちらでもなくせいぜい大阪の片田舎から俯瞰的に、或いは羨望にも近い眼差しで、しかし浮かれた感覚だけは持つまいと地に足を付け、せめて多少の実力だけは身につけたいと必死にファッションや洋服屋のコアを探求してきたように思う。

そうしてこのような偉そうな口調で記事を書いているが、もとを正せば私も渋谷にいるような一部の人間と同じく、都会に夢見た田舎者の一人だ。

そんな「ほぼ」嫌いである街には僅かな割合で存在する「ホンモノ」、ゴロツキを熱くさせる日本のトップクリエイターや、才能のあるデザイナーたちが存在しているから、私も渋谷の街に度々行こうとするのだと思う。

ANTHOLOGIE及びARTの小川圭司は、紛れもなくその才能を持った一人だ。

アンソロジー(詩集)と、アート(芸術)には明確に語れる美しさの定義はない。

受け手の技量と、時代によってその意味が変わってくる、そんな服たちだ。

言い換えるなら、目を持った人であればその商品の魅力も使い方もわかるが、アンテナを持ち合わせていない、或いはその気になって見なければ何がARTなのかすらわからないのかもしれない。

小川さんからは、理屈は感じない。

しかし、話したことがある人なら一様に感じているはずだが、驚くほどに基本に忠実な思考をしている。

「商品を形にする上で素材や仕立てに拘るのは当たり前だ」というのはCINOHの茅野さんがよく仰る言葉だが、最後に何で差が付くかと言えば感覚なのだろう。

だから定義できてしまう服には限界があるし、理解が難しい服には無限の可能性があるのだと私は思っている。

近頃またファッションが停滞していることを感じているが、誰もが予想し、期待している予定調和のフェーズからいち早く脱したいと日々考えている。

物理的に良いものや、着易いものを否定するつもりはないが、誰もが理解できることについて我々セレクトショップが大層に発信する必要はもはや無い。

ショップの奥行きに差があるとすれば、それはギャップ、裏切りのセンスだと言い切れる。

そんな矢先のこと、2019年7月14日にANTHOLOGIEの直営店、渋谷のARTが閉店した。

デザイナーの小川さんにその理由を聞いたら「新しいことがしたいから」と仰っていた。

まだ多くのことは語れないが、未来にワクワクするこの気持ちこそ僕が好きなファッションの源泉だ。

このART、ANTHOLOGIEと共にこれからおもしろいことができればと思う。


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