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  • 店主 角地 俊耶

ある少年の好きから生まれた文化


明日からいろんなSTUSSYのTシャツをお店に並べます。

先日Kics Document.のタックパンツをご購入頂いた、とてもセンスの良いお客様が古着のSTUSSYを見て「これは何なの(なんでこんな商品やってるの)?」と言われたときにハッとしたのでブログを書いてみることにしました。

ストリートファッション全盛の2017年春夏にはうってつけの商品であるのは間違いないのですが、きっとチャラい品揃えに見えてしまっているのかな…と。

あらゆる識者がいらっしゃる東京で、私がSTUSSYについて大層に語るのはかえって恥ずかしいので、ブランドの有名なエピソードとともに私がなぜこのブランドが好きなのかを書きます。

STUSSYは1980年に生まれたブランドで、私と同い年です。

アメリカの西海岸、ロサンゼルスとサンフランシスコの中間地点にあるラグーナビーチで生まれたSTUSSYは、その名の通りショーン・ステューシーさん自身がのめり込んだサーフカルチャーに最適なボードやTシャツなどを製作するところから始まり、その後ラグジュアリーブランドに象徴されるようなハイファッションと、ファッションとは違ったベクトルで生まれたワークやスポーツウェアをミックスしたスタイルを提案して90年代にかけて一気に注目されます。

80年代の私といえば、体操服以外のスポーツウェアは着たことがありません。

ストリートカルチャーに触れる上で外せないのが音楽との関係性。

1970年代はセックス・ピストルズやクラッシュなどのパンクロックが全盛の時で、ファッションも同じく彼らが好んだライダースジャケットやデニムをボロボロになるまで着込んで、スタッズや安全ピンで無理やり継ぎ接ぎしながら着るようなスタイルが流行し、単なるボロルックを超えた精神性あるスタイルとして一般化しました。

その結果、シド・ヴィシャスなどに憧れる若者が麻薬に溺れるような悪影響までが現れる玉石混淆の一大ムーブメントが巻き起こります。

程なく80年代にはラップミュージックという新しいジャンルが生まれ、リミックスやサンプリングといった”もとある形を編集して新しくする”テクニックが斬新だとして様々なアーティストが自由な表現方法を手にしたそのころ、STUSSYも同じくカテゴライズされた様々な物事(例えば、ワークウェアのcarharttとの協業など)を自らに取り込み、既成のイメージを大きく覆すようなアプローチをしたことからSTUSSYの感性に共感するアーティストやスケーターなど多くの著名人が好んでその商品を身にまとうようになりました。

私はそのころ、同じ”俊”という字が付いているだけの田原俊彦に妙な親近感を覚え、親が持っていたaiwaのラジカセでテレビで流れる彼の歌を雑音混じりに録音しよく聴いていたことを覚えています。

STUSSYが現れるまではTシャツにプリントをする、とか、異業種と一緒に商品を作る(いわゆるコラボ)なんてことが一般的ではなかったなんて、それ以前を見ていない私には信じられないようなことをショーンさんはされたのですが、なんともカッコイイのはそれをコマーシャルっぽく扱わずひっそりと信頼している人に預けて売るなど、たかがTシャツだと言われてきたものにそのようなストーリー性を持たせたことです。

極端なことを言えば、ただの真っ白のTシャツでもSTUSSYのそれを着ることで自由を象徴したり、新しいことへの挑戦に前向きになれたりすると言っても良いかもしれません。

いかに華やかに、いかにエッジーに、というラグジュアリーやモードの既成概念とは反対の、最も身近にあるものを特別にしたSTUSSYは、まさにパンクであったと思います。

14歳の時に初めて親に買い与えてもらったSTUSSYのパーカーは小柄な私には不似合いで、なんだかブカブカで長いしブラジルみたいな色が入った変なものでしたが、今になってあの時のアレがそんなものだったとは…!!!!と、”猫に小判”、"豚に真珠”、”体操服の田原俊彦にSTUSSY”な状態で、最も相応しくない着用者だったと思います。

そんな体験を経て、36歳になった私はお店にSTUSSYを…と思うのです。

そういうことで、弊店自慢の様々なブランドとSTUSSYというのは相性が良く、ご来店されるお客様それぞれに自らのSTUSSYスタイルを取り込んで頂けることを願い、私がなぜSTUSSYが好きかということと、ストリートファッションの素敵な一面をお知らせ致します。


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