Toshiya Kakuchi

2020年7月17日

歴史は繰り返され、そして学びを与える / vol.1

- The CLASIK

以後、そのワードだけで信頼の証となるような完成度のアウター、ジャケットのコレクションでデビューを飾った2020年春夏シーズンから半年。

大きな衝撃が起こる時はいつでもそうだが、人々の足は一度竦み動くことすらままならず、どこへ向かえば良いのかを脳内で整理するまでに一定の時間がかかる。

弱点が見つからない服などそうないことを知っているはずの我々が、この服を見たときに躊躇したのは価格の問題か、それとも得体の知れないブランドであるからか、いやそのどちらでもあるかもしれない。

「クラシック=古典」という響きから少々お高い普通の服だと理解した人も多いだろうが、物を見抜ける人はそうではなかった。

明らかに何かが違う、突き抜けた古典の服たちには現代しか知らない私たちがハッとさせられる大切な何かを突きつけられているような気さえした。

それが何であるかを紐解くAW20でもあり、The CLASIKというブランドの真のプロローグとなるAW20であることは間違いない。

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- クラシック

それは、概ねメンズの世界に用いられる形容詞のような意味合いで使われる言葉になっているが、クラシックを語る上でメンズ服に帰着するのは、メンズの服作りにおいての独特な考えた方とクラシックという言葉の結びつきが強いことが挙げられる。

対照的なレディースの服作りは、ある意味このメンズ独特のルールに縛られない一線を超えた自由さに魅力があると理解しているが、女性服の移り変わりが激しい理由は気変わりの速さだけではなくこのような構造上の理由も十分にあると言える。

極端なことを言えば、これまでもクラシックな服以外が全てふるいにかけられ現代まで残ってこなかった。

では、メンズ服作りのルールとは何か、話始めればとても長くなるので今日はその一つ、誰でも理解できる外観でそれも皆様のお手持ちの洋服と比較のしやすいシャツを例にしてその説明をしたい。

結論から先に伝えると、皆様のお手持ちのシャツの袖をめくって身頃の脇線と袖の接ぎが続いて縫われているか?を一度ご覧頂きたい。

おそらく、お手持ちの大半のシャツが脇線と袖の接ぎが一直線に縫われているはずだ。

そして、The CLASIKのシャツは”後付け”と言われる接ぎ目がずれた袖付けになっている。

その差はお察しの通り面倒な分だけの意味があるということだが、話を一度ルールに戻そう。

まず、メンズの服作りの大まかなルールと言うと”意味”と”機能”の2つが挙げられる。

それは、何のために生まれたものか、そして、いつどのようにして着るのか、とも言い換えられる。

さかのぼり過ぎるとかえって難解になってしまうので、我々に身近な形(襟が折り返され着丈が極端に長くない)になった19世紀以降のシャツを古典として話を進めたい。

シャツは肌着であるという言葉だけ聞いたことがある方も、つい5〜60年前までは”カジュアルなシャツ”というもの自体が存在していなかったと言うと近年のシャツの立ち位置の変化に驚くことだろう。

仮に肌着としてのシャツまでがクラシックなシャツとするなら、ジャケットの中に着てネクタイをする正当なスタイルに使われるシャツに求められることは、シャツ単体としてどのような見え方をするか?ということがデザインの出発点ではないことがまず考えられる。

つまり、ほとんど見えない服、それも何か上から押さえつけられるような状態で着ることを前提にした服であるというのがシャツのそもそもの立ち位置であるため、とにかく邪魔にならないような動きやすい構造をしていることが重要であったのだが、制限の多い洋服故に求められる利用者からの細かい要求に応え続けてきた背景がドレスシャツの構造が発展した大きな原因でもあろうかと思っている。

以前に軍服が持つ機能は生死にかかわるためシビアに設計されている、というお話をブログに書いたことがあるが、ドレスシャツも同様にイギリスなどの階級社会における上位階級の人々の権威を示す優美な面持ちと、日常的な肌着としていかに動きやすく着心地を良くしていくか、という点でもシャツの作り込みはこの時代までにかなり磨き上げられてきた。

話を現代に戻してみると、シャツは1枚で着られることもズボンの裾から出して着ることも当然となり、肌着としての概念ではなくなっているため、当時のような重ね着前提での運動量を担保したり首回りの構造を良くして威厳を漂わせる面倒な作り方もしなくて済むようになった。

さらには2020年現在のムーブメントはまだまだリラックスしたビッグな服という、当時とは真逆のミクロな設計不要のものが主流である。

しかしひとたび冷静に見て欲しいわけだが、あの厳しい条件で完成度を高めてきたシャツがルール無用になったとき、目に見える脇線一つとっても徐々に簡素化され少しずつ必要とされていた複雑な条件を開放してしまっているとすれば、積み上げられた構造や意味に裏打ちされたムードなど到底出せるはずもなく、そして今後に残っていく服になるかという視点で黄色信号が点っている可能性はないだろうか。

今再びルールを重んじるThe CLASIKの服に漂う奥側の空気、そして細部まで行き届いた作りに我々が注目するのは、無意識ながら必然であるような気がしてならない。

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vol.2 につづく

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